盛岡系の南部鉄瓶工房
盛岡の南部鉄器は、藩のお抱え釜師による茶の湯釜づくりを源流とするとされる系統です。格式ある作風で、茶の湯釜や本格的な鉄瓶を手がける工房が集まります。
該当工房 9 軒 / 画像はイメージ
茶の湯釜から始まった産地
盛岡の鉄器は、江戸時代に南部藩が京都から釜師を招き、茶の湯釜をつくらせたことに始まるとされます。ただし年代は資料によって分かれており、伝統的工芸品産業振興協会と岩手県のウェブページは「17世紀初め」、南部鉄器協同組合は「17世紀中頃」、岩手県の公式PDFは「1659年に第2代藩主の南部重直が京の釜師を御釜師として召しかかえた」としています。
この「京都から来た釜師」が小泉家です。現在も盛岡で続く御釜屋(小泉仁左衛門)は創業を万治2年=1659年としています。一方、鈴木盛久工房は創業を寛永2年=1625年とし、初代が南部家の本国である甲州(現在の山梨県)から御用鋳物師として召し抱えられたと記しています。盛岡の鉄器は、複数の系譜が藩に集められて育ったものでした。
鉄瓶が生まれた場所
ここまで出てくるのは「茶の湯釜」です。鉄瓶そのものは18世紀に生まれました。伝統的工芸品産業振興協会と南部鉄器協同組合は「有名な南部鉄瓶は18世紀になって茶釜を小ぶりにして改良したのが始まり」と記しています。御釜屋は宝暦年間(1750年頃)に三代仁左衛門清尊が創作したのが始まりだとしており、及源鋳造(OIGEN)も小泉家3代仁左衛門が原型を作ったとされると書いています。
作風の傾向
OIGENは、盛岡が茶道具や美術的要素が強いのに対し、水沢では生活必需品である鍋や釜が多く作られ主に民衆向けとして発展した、と説明しています。ただしこれは成り立ちと傾向の話で、いま鉄瓶をつくる製法そのものに産地の差はありません。「焼型は盛岡、生型は水沢」といった対応関係を示す公式の記述は存在せず、実際に水沢のOIGEN・及富も焼型を手がけています。
岩鋳
岩手県盛岡市南仙北2-23-9
鈴木盛久工房
岩手県盛岡市南大通1-6-7
御釜屋(小泉仁左衛門)
岩手県盛岡市盛岡駅西通2-1-23
壱鋳堂
岩手県盛岡市太田3-11-7-1
薫山工房
岩手県盛岡市繋字尾入野64-12(盛岡手づくり村)
虎山工房
岩手県盛岡市繋字尾入野64-12(盛岡手づくり村)
藤枝工房
岩手県盛岡市繋字尾入野64-12(盛岡手づくり村)
田山鐵瓶工房
岩手県滝沢市大釜風林445-5(小岩井エリア)
釜定
岩手県盛岡市紺屋町(公式発信は Instagram)